陰謀論もささやかれる偽札事件の歴史と「贋作小判」
今回は、私が大切にしているコレクションの一つをご紹介します。それは、明治時代に「偽札事件」で一躍名を馳せた熊坂長庵という男が作り上げた、偽天保五両判金。
彼は元小学校校長でありながら、画家としても非凡な才能を持つ人物でした。精巧な偽小判を製造・流通させた「熊坂偽金事件」が発覚。両替商・三井家や豪商・鴻池家も関与を疑われ、経済界を揺るがす大事件となりました。後に政治家・大隈重信の家系も関係者として名前が挙がり、戦後のDOWAホールディングス(旧・同和鉱業)につながる鉱山関係者の関与も示唆されていました。そんな大事件の犯人となった人物が熊坂でした。
明治15年、熊坂は自身で偽の五両判金を作り、偽物と伝えた上で友人たちに贈ったそうです。ところがその後、彼が偽札事件の犯人として逮捕されます。友人の一人、時阪伊右衛門が事件を恐れ内務省に通報したところ、彼は偽札事件については犯行を否認し続けましたが、偽小判の製作は認めていました。
なお「熊坂長庵」という名前は、伝説の盗賊・熊坂長範に由来するものの、一字違いで「不運な名前」とも言われています。この偽五両判金は、明治16年の贋作鑑定目録にも記載されており、寸法は約8.7cm×5cm。
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松本清張も描いた男の贋作―歴史の影に光る「本物の偽物」
熊坂長庵は、名作家・松本清張の「不運な名前」にも登場する実在の人物。彼が作り上げた偽の小判は、ただの偽物ではなく、大きな歴史的な事件に関わった人物の「本物の贋作」として唯一無二の存在です。私がこの品を選んだのも、そのドラマ性に惹かれたからに他なりません。ひょっとしたら、熊坂が作った「偽物」はこの小判のみだったのかもしれません。贋札は海外で大きな組織によって作られたなど様々な噂があります。
この小判のモデルとなった「五両半金」は、江戸時代に鋳造された純金貨で、約18グラムの純金を含み、天保年間(1830〜1844年)に多く流通しました。当時の経済を支えた重要な通貨です。そんな歴史的な背景を持つ金貨の贋作であることが、この小判の価値をさらに高めています。付属の歴史館の鑑別書があることからも、かつて公式な展示品だった可能性があることが伺えます。
今後は、この小判の成分分析を行い、鑑別書通りの素材かどうかを検証する予定です。熊坂がどんな思いでこの小判を作り友人に渡したのか、また本当に贋札事件の犯人だったのか、そんな歴史の面白さの詰まった一品です。
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